お天道様に顔向けできないような長い学生生活を送っているので、それぞれの学校に進学するごとにその都度引越ししています。転勤族ならぬ転学族みたいなもので・・・それぞれの町にいいところ悪いところあったと思うけど、ぜんぜん写真に残っていないので残念。今いるところだけでもしっかり撮っておこう。日常を日常らしく記録するのは慣れないと難しいのかもしれない。
とはいえ、このままだと記憶からも消去されてしまう町もあるかもしれない。だから、住んだところ+α、筆で記録にとどめおこうという思いつき。特に都市部は目まぐるしく風景が変わるとはいえ、土地ごと水没でもせぬ限り再訪できるので。
1、三重県志摩市~生まれから高校卒業まで。
途中の二年間、父親の仕事関係で別の場所に住んでいたけれど(後述)18歳までは三重で過ごしたことになる。地図で見るとなんとなく日本の真ん中らへんではあり、気候風土も至って穏やか。リアス式海岸から繰り出される魚介類がなんとも美味!平野や山林も結構な面積があるので、山海の幸に事欠かないまさに美食の土地と言える。食の充実もあってか、古くから主に近畿地方からの来訪者が絶えない観光地として有名でもある。志摩市から範囲を拡大して、伊勢もまあ地元に含めてしまえば、伊勢神宮というのがあるので旅行先としては大いに全国区だ。ちなみに志摩「市」になったのは2004年、それまでは「郡」だった。
2、徳島県鳴門市~小学校1,2年生(6~7才)
小学校に上がってからすぐの二年間は、徳島の地で過ごした。とんでもなく入学がいやだったことと、クラスに人がたくさん居て驚いたこと(三重での幼稚園は14,5人だったがこちらでは40人2クラスあったのかな?)、団地で野球やゲーム(ファミコン)がブームだったことなど、ごく断片的な思い出しか残っていない。
住んでいたのは、いま地図で見るとずいぶんと変てこな半島だったらしく、街に出るためには車か渡船で小鳴門海峡を渡らなければならない。渡船は無料だったのだが、あるときどうしてもガチャポンが欲しくなった少年ボクは団地の友人Kとともに渡船を利用し町へ出てスーパーでガチャポンを一回やって帰ってきたが団地のひとにその姿を目撃されこっぴどく怒られた、という記憶がある。それ以外で渡船を利用した記憶はない。
海岸にある堤防から対岸の工場群が見え、特に大塚製薬のが目立っていたのでポカリスエットを見るといまでも鳴門を思い出す。この堤防で釣りをしたときに、近所にお裾分けをするぐらいたくさん「サヨリ」が釣れたことが合った。言うまでも無く、瀬戸内も魚が美味い。
どこかの公園で、アルミ缶を5個くらい入れると記念コインがもらえるリサイクル促進装置みたいのがあってやたらコインを貯めていたことや、毎週日曜日にモーニングを食べに行く喫茶店が会った事も覚えている。そこでのサラダ、とくにヤングコーンが美味くて今でも嫌いじゃない食べ物だ。ぼくはどうってことなかったのに、クラスでとても人気のあったアイドル的な女の子の名前を今でも覚えているのがとても不思議。
5年ぐらい前に偶然鳴門に行く機会があったのだけど、とあるお好み焼き屋の風変わりな屋根を見て、全く記憶に違わない思い出のお好み焼き屋だったときには、すごくうれしい気持ちがあった。三重に帰ってからも数年間は年賀状をくれた小学校の同窓生は今なにをしているんだろうか。年賀状返さなくてごめん
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2009年12月21日月曜日
自分が今まで住んだ町をまとめてみたpart1
投稿者 ひこぼう 時刻: 0:02
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